やっぱり毎日書く

二月の大きなイベントが急になくなってしまって春休みがかなり暇になってしまう感じがあるのでブログを毎日更新するやつをやろうと思う。以下がルール。

1できるだけ毎日書く。無理な時は無理しなくてもいいけど無理じゃない時は書く。時間は1日のいつでも良し。

21000字くらいは書く。ていうか多分それくらい書かないと書く内容がうまく説明できないと思う。

3内容はなんでもいい。書く事が大切。

4公開にする。一応人に見せれる程度のクオリティは欲しいので。でもバズらせようとかは考えなくてよし。

5集中して書く。「ながら書き」みたいなのをずっとしても無駄なのでちゃんと書く。集中できないからiPhoneではあまり書かない方がいいかも。

6下書きを書く。iPhoneのメモとかに構成をざっくり書いてから書く。

 

以下が見込まれる効果

1文章がうまくなる。執筆作業はスポーツなので毎日書いてどんどん書く体力を今つけないとのちのち死ぬ。

2感情が記録できる。記録がなかったら戦国無双三国志もなかった。記録は大切。

3机が綺麗になるかも。毎日机に向かう事になるので机がやや片付く可能性がある。

 

以上です。続ける事が何より大切なのでどんな事でもとりあえず春休みは継続していきたいなぁって気持ち。

友達が死んだ経験

 

大学一年生の夏に高校の時仲よかった男友達が死んだ。なんかかなり特殊な死に方をして、そんなんで死ぬ人いるんだみたいな、本当に20年の歴史の終え方そんなんでよかったのかよみたいな、とにかくかなりアホな原因の事故で死んだ。

その友達はとにかくバカで、文化祭の準備期間にどさくさに紛れて無許可外出して停学くらって文化祭でれなかったり、そもそも大学行くかも決めて無いのに適当に進路希望を出したので高2で私立理系のクラス、高3で国公立文系クラスに入れられたりとか、高校生とは思えないような事をよくやっていて、そういうところが気に入って私を含む4人グループでよく遊んでいた。彼女ができたので一緒に服を選ぶ会とかもした。若い。

私の高校はいわゆる自称進学校みたいなやつで、毎年東大は出ないけど旧帝はちょっと出るみたいな田舎の公立高校だったんだけど、田舎ゆえに排他的で、自称進学校ゆえに不真面目な人は学校で浮いていた。もちろん彼も私とクラスが離れた二年生から浮いてきたし、私も浮いてはないけどかなりの頻度でサボるようになって、そこからはお互い時々遊ぶだけの仲だった。

高校を卒業してから彼は何をしていたかも知らなくて、そもそも大学受験をしたかも不明だったけど彼と私とよく遊んでた人と会うたびにあいつなにやってんだろうなーなんて話していた。

事故はニュースになっていたので、その情報から、SNS上でこの死んだ少年ってあいつじゃないかみたいなツイートがたくさんあったのでとりあえずLINEを送ったら返ってきたのは兄からの葬儀の連絡だった。

自分の高校では勉強しない人の方が珍しく、彼の名前と存在はそこそこ知られていたので同級生の訃報はかなりのスピードで広まった。誰が最初に行ったのかなんて知らない。私はとりあえず産休中の当時の担任に連絡をして、もう誰も発言しなくなった4人グループに事情を説明した。その時はもう3人なのだが。そのグループの人たちの反応は「不謹慎だけどちょっと笑った」というものだった。私もちょっと笑った。それくらいアホな死に方をしたから。「なんかあいつらしいよね、とりあえず葬儀は行ってめちゃくちゃ進めてたパズドラのデータもらうか~」くらいのテンションだった。それが私たちと彼のいままでの関わり方だったし、急に泣き出したりするのはちょっと違う感じがした。

そして葬儀当日。私はたち3人と2年で仲よかった人くらいしか高校の人は来ないだろうと思っていた。私たちは2年以降クラスがバラバラになってしまって、しかも私は学校にあまり行かなくなってしまったので彼は2、3年でのクラスで一人だったから。しかし会場に着くと本当に学年の1/3くらいいるんじゃないのっていう人がいたし、結構な人が泣いていた。私たちは遺影が反省坊主の時の写真だったり、遺物が展示?してあるところに彼のアイフォンがあって、相当な怪我をして死んだはずなのに傷一つ付いていていないソレを見て笑うなどしていた。途中、彼の兄に声をかけられて、3年前に家に遊びに行った時見かけたような人をよく覚えているものだと感心した。

葬儀の帰りいつも行っていたファミレスに行って思い出話とか、近況とかを話した。具体的に何を話したか覚えていないが、かなり楽しかった。

そしてその帰りに、一人になった時、今日見たたくさんの同級生の事を考えた。多分中には一言も話した事がないような人もいると思うし、泣いている人は何に泣いているのか教えて欲しかった。こんなにたくさんの人が泣くならなんで高校の時彼は浮いていたのだろう。どうせ彼が死んでも生きていても今後会うことなんて一生ないのに、この死が与える影響なんてないようなものなのに。すごい偽善的だと思った。でも多分同級生が死んで泣くような感性が正しくて、ケラケラ笑ってる私たちが異常だし、何ならみんなは私たちをおかしいと批判すらするのだろうと思った。それでも何かヘマをした時はバカにして、いつものジョナサンでゲラゲラ笑うのが今までの関係だったし、それは死んでも変わらないと思った。

彼が死んでからもう2年が経つ。私たちはどんどん大人になっていくが彼は19歳の少年のままだ。それでもいつも彼を思い出すとき私たちは高校生の頃の感覚に戻る。多分これからもずっと私と彼は高校の時と変わらない関係が続いていく。そしてそれは彼が生きていても変わらないと思う。私は長生きしたいけど、もし若い時に死んだら急に泣いたりしないで今まで通りの関係でいてほしい。

家事

私が経済的自立をしたいのは「どうしても家事をしたくない」という事が理由の一つである。

私の家庭環境は比較的良好で、物心ついた頃から父は風呂掃除や掃除機がけなどをしていたし、母は料理を毎日作っていた。自分が家事をする事はほとんどなくて、私が小学生の頃「夕食後、テーブルを拭く」という業務の担当を任されて以来やっているがそれ以外の家事をほとんどした事がない。家庭科の授業以外で料理をした事がないし、洗濯機を回す事も水回りを掃除した事もない。掃除機はある。あとアイロンがけは今もよくやっているがそれは服をかっこよく着るためで別に家事って感じはしない。

高校にいた頃はあまり家庭の話をしなかったので知らなかったが、実家に住んでいても親が共働きだったり片親だったり、様々な事情で家事をしないと夜ご飯が無いみたいな状況になる人が世の中には結構いるらしい。

私の母も働いていたし、今は違うけれど中学の頃は激務だったっぽいし、母親の帰りが夜9時すぎだったりした時すらあったけどそういう時は父親が何か作ったり、母が昼に作ったものを父が温めなおしたりしていたし、それ以外の家事も母が帰宅後やったり、父が洗濯機を回したりしていた。父は「お父さんの方が料理うまいんだけどオバチャンがかわいそうだからオバチャンがいる時は作らないんだよへへへ」と笑っていたし、別に家事が嫌そうではなかった。父は母の事をオバチャンと呼ぶ。

そういう環境で育ったので男性が家事をする事は普通だったし、家事を経験した事はほとんど無いのでこれから先も家事をしたくないという気持ちが強く、そのためには一生独身で週に数回ハウスキーパーを呼ぶか、主夫とまではいかなくても、家事をしてくれる男性と結婚するしかないという結論に至る。ハウスキーパーはともかく旦那に家事をさせるに関しては私が稼げないのに結婚相手に家事を強要するのは気がひけるのでいずれにせよお金がかかる。

なので男性と同等またはそれ以上を稼ぐ必要がある。たくさん仕事をする事は想像ができるが自分が家事をする事は全く想像がつかない。想像がつかないことはしたくないのでたくさん働いて家事をしない生活をしたい。私は身体的に子供を産んだりする事ができなそうなので子育てのことは前提として考えてい無い。

ツイッターのキラキラ女子は自分と全く逆の考え方で面白い。イケメン高収入商社マンと結婚して、家庭に入ってゆるふわな毎日を目標として今日もアポ♡のキラキラ女子に私もなりたかったし、大学に入学したあたりは大学を卒業したら服飾学校に入って服飾の仕事がしたいけど服飾は稼げ無いのでお金持ちと結婚する事が必須だと思っていたほどだ。もちろん今でも服飾の学校には行きたいし、ファッションの世界で生きていきたい気持ちはもちろんあるが、なんとなく、他人の金で生きていくのってきついなと思った。いつ死ぬか分からない旦那をアテにして、自分の好きな事をしたってあまり意味がなく、本当に服飾の仕事がしたいなら普通に大学を出た後自分のお金だけで学校に通って、そのあとも生活できるくらいのお金を貯めて自分のちからだけでやりたいがあまり現実的では無い。

ここまで書いて思ったがううちの父親は一体何者なのだろうか。母とは職場結婚でどちらも高卒なので今思うとかなり早い時期に結婚していたが、母は私を産んでから10年近く専業主婦だったがその時も父が水回りやその他の掃除をしていたし、土日母が遊びに出かけると全ての洗濯物を畳んでテーブルに置いて母を迎えていた。おそらくイクメンとかそういう言葉がはやる何年も前の話である。

1480字 52分

簡易的な外食

今日の昼ごはんは家系ラーメンにすると朝起きた段階で決めていて、その決意と共に少し早く家を出たら以外と駅までの徒歩で気を散らしてしまい駅に着く頃には想定の15分遅れた状態になってしまっていた。

ラーメンを食べるという決意は硬いけれど今日の一番最初の授業は友達もたくさんいて楽しいので遅刻はしたくないので妥協して駅前のありえない提供の速さを私の父親が褒めていたパスタ専門店に行ってきた。

そこは生パスタ専門店で、母と妹は生パスタが嫌いなので父は私にかなりしつこく行くように言われていた。私も生パスタはあまり好きじゃないのですが。乾麺パスタで十分美味しくないですか。なんでわざわざ摩擦係数高めのこだわり強い系らーめん屋の麺をおしゃれっぽく盛り付けるのだろうと思っている。しかもこだわってわざわざ生麺ですよみたいな言い方をしている店が多いのでおそらく乾麺パスタよりも生パスタの方が作りにくいのだと思う。でも個人的には乾麺パスタの方に馴染みがあるし生パスタの1000円する鎌倉パスタよりも400円のサイゼリアのパスタの方が好きだ。今回行った店は鎌倉パスタではないけど鎌倉パスタはパスタではなくパンの食べ放題のお店だと認識すると価値が爆あがりしますよ。

生パスタへの怒りが長くなってしまいました。

食券を買うと地方中堅大学のミスターコンの端っこにいそうなイケメンが食券を回収してくれる。ちなみにトマトとモッツァレラのパスタを注文した。

カウンター席に行くとミスターコンがパスタを作っている姿が見えて、先の食券といい、なんだか妙にらーめん屋っぽいなと思った。同時にやっぱり家系が食べたいと思った。厨房の方に目を向けるとミスターコンが大きな鍋で自慢の生パスタを茹でている。茹でたら生ではないのでは。そしてその横の小さな鍋でキューピーのパスタソースみたいな袋を湯煎している。そしてタイマーがなるとそれをフライパンに移しパスタを絡めている。それを見てなんというか少し悲しい気持ちになった。

今の外食なんてレンチン、レトルトがある程度当たり前で、先に述べたサイゼのパスタもおそらく同じ、またはこれ以上に簡単な調理で提供されているのだと思う。べつにそれは悲しくない。むしろレトルトであんなに美味しいならスーパーで売れと思う。それくらい外食チェーンが「簡単な調理」であることには寛容だが、それを隠す事もなくされてしまうとなんだか悲しい。レトルトで作ってごめんなさいくらいの気持ちが欲しかった。

1027文字20分

20歳の間に変わった事

21歳になった。10代の時は自分には若さ以外に価値がないと思っていたから1年前の今日はかなり落ち込んでいたが今年はそんな事もない。普通の平日という感覚だ。正確にいうと今日は体育の日なんだけどね。

1年前と今でかなり変わった。自分も変わったし、周りもかなり変わった。同じ大学で同じ勉強をしているのに多分中学三生が高校一年生になった時と同じくらいになったと思う。以上の事は主観だが、周りにもいろいろ言われる事が増えたので客観視した上で分析するブログにしたいと思う。

  1. 見た目が変わった

数値としては8キロくらい痩せた。痩せて少しリバウンドして痩せてというのを3回くらい繰り返したので累計では15キロくらい痩せていると思う。だがリバウンドしてしまったので結果としては8キロくらいの減った。

ダイエット中は自分の見た目にかなり敏感になるので毎日ストレートアイロンを当てたしカラコンは毎日つけていたし着る服もかなりこだわっていた。あと整体に通って悪すぎる姿勢を強制したりもした。ダイエットもそれ以外もかなりしんどい思いをしたけれど見た目のレベルはかなりアップした。

見た目が変わると気持ちの持ち方もかなり変わってくる。よくある話だが自分に自信がつくようになった。太っていた頃の自分と比較すると明らかに今の方が良いので太っていた時と今の自分を比較して「この時よりかはマシだろう」と思うようになった。すると自然と自尊心がついてきて自分に自信が持てるようになったのでと思う。

しかし他人の容姿にかなり厳しくなった。自分はこんなに大変な思いをして痩せているのに無神経に物を食べる人を恨んでいたし、普通に考えてデブになりたくないと思って痩せているのに、太っている人をなんとなく恨んでしまうのはある意味当然の事だとお思う。

  2インターネットとの付き合い方が変わった

小学生がなりたい職業ランキング一位がユーチューバーという話があったりするがそんな感じで私も主にツイッターでの数字にかなり縛られていたのが無くなった。以前は自分が良いと思った自撮りを載せてそれをたくさん良いねされたいみたいな気持ちがあったがそれが無くなったし、フォロワーを増やしたい、良いねがほしいみたいなハングリー精神がかなり無くなった。それを裏付ける数字として私のツイッターをみると5月は9枚自撮りを載せているのに対し9月は5枚。

これはミスiDに出てセミファイナルという結果を残した事が大きく関わってくると思う。

自分で言うのも変な話かもしれないが、ミスiDに出場し、そこそこの結果を残す事は主にインターネットにおいてのかなり自己顕示欲がタプタプと満たされる。事実として50人くらいフォロワーが増えたりする事があったし、全然知らない人に私を面白いとかかわいいとか言われる事が圧倒的に増えたのでセミファイナル審査期間の2ヶ月は常に自己顕示欲がビンビンだった。

しかしあくまで私が出した結論だがインターネットでの自己顕示欲が満たされてもそれほど楽しくない。セミファイナリスト審査期間はインターネットがかなりストレスだったのでその代わりにリアルの生活を意図的に充実させた。貯金をちょいちょい使ったりしてお財布と自分の肝臓にかなり無理を言わせてたくさん遊んだけれどすごい楽しかった。そしてこの楽しさは部屋にこもってインターネットをし続けるだけでは絶対味わえないし、普通に自己顕示欲が満たされるより他人とたくさん遊んだ方がトータルで見た時に圧倒的に後者の方が満たされる。きっとインターネットで夢を叶える人もたくさんいるのだろうが私はそういう人ではないんだなと気づいた。

私の生活の中心にあったインターネットはどんどんすみに追いやられリアルの生活に力を入れるようにした。

 

振り返って見てこの二点が主に変わった事であり、どちらも自分にとって革命的な出来事だった。来年の今日も同じように振り返るのだと思うが、その時はどう変わっているのか楽しみだし、せっかく固めた考えを変えたくないとも少し思う。とりあえず大学院の試験をなんとかパスしてくれる事をいのるばかりである。

1687文字 38分

 

今後の方針

今大学三年生なのでそろそろ就職に向けて周りが資格を取ったりインターンに行ったりしていて、ツイッターを見ていると就活絶対したくないという同期のツイートと就職が決まったが社会人になりたくないというツイートとなかなか内定が決まらなくてしんどいという先輩のツイートがあって、全員がピーターパン症候群だし全員がシンデレラ症候群だと思った。

私は就職したくないみたいな気持ちはあまりなくて、そもそも集団で生きるのがかなり得意なので新しい集団に属する事が楽しみだったりもする。私の実家はめちゃくちゃお金持ちという訳でもないが少なくとも20年間でお金に苦労した事はなくて、なおかつ今の水準以下の生活をした事がないので貧乏暮らしだけは避けたいと思っていた。そして今の大学卒のレベルで貧乏暮らしを回避するには神奈川県庁の職員とかその辺を狙うのが正しいと思ったのでそろそろ勉強しなきゃなぁと二年生の冬あたりに考えていた。

ところがそのあとの言語学系の授業で国立国語研究所の方の話を聞く機会があって20年行きていて割と初めて学校での勉強が面白いと思い始めて、このまま誰にでも割とできるOLになるのは少しもったいないのではないか、四年間で学んだ事が活かせる日本語教師になるのもアリだという考えに変わり、だんだんみなとみらいの県庁が霞んで行った。

日本語教師は大学の日本語教育専攻、副専攻だったり、なんかそれ用の講座を何時間か受講したり試験に合格したらなれたりして、教師と名がつく割にかなり低いハードルを突破するとなれる。そして今は日本語教師が不足しているのでかなり大手の日本語専門学校でも常に求人を出している。でも日本語を専門学校で学ぶ外国人は日本よりも物価の安い国である事が多いので日本語教師の給料はそこそこ安い。常勤でも月16万とかが普通にある。

つまり大卒で日本語教師だとかなり貧乏暮らしをする事が避けられないっぽい。先述の通り貧乏暮らしを避ける事は人生の最重要課題なので、先生などに相談して出した結論は「大学院」だった。

大学院に行って日本語教師修士をとると大学の留学生日本語センター的なところで働けるようになる。一概には言えないかもしれないが私立大学の講師は専門学校の講師と比べてかなり給料も良くなり、建物も綺麗で、労働環境がかなり良くなりそうだ。二年間学生期間を拡張できるし大学院の学費もざっと計算しただけで5年くらい働けば元が取れそうだと思った。

という訳で最近はもっぱら大学院進学メンタルです。大学院に進む事のデメリットはほとんどないと言われている「内部生であるにも関わらず入試に合格できない」人になった時割と積むという事とパッとみてわかるように私は将来への方針が1、2年おきに大幅に変わってしまうので大学院在学中に気が変わって学部卒の仕事がしたくなった時に「200万かけて大学院に進んだ」という事実が足枷になる可能性が大いにありえるという事だ。

とりあえず今年もまだ2ヶ月あるし、就活が始まるまで5ヶ月くらいはありそうなのでゆっくり考えていこうと思う。

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